HOME

レコレコ「コラムと書評」

recorecovol.6., 2003.5-6. pp.84-87

 

橋本努(北海道大学大学院経済学研究科助教授・経済思想)

 

世界秩序を読み解くための10

 

ミニコラム(600)「イラクはレヴィナスの他者ではない」

 

アメリカはついにイラク攻撃を開始してしまった。国際法に基づく解決をめざすのではなく、絶対悪としてのイメージをイラクに押しつけ、イラクは悪しき政体であるから市民を殺しても構わないという戦争の倫理を正当化してしまったのである。

しかしイラクは、レヴィナスのいう絶対的他者なのか。イラクはわれわれと同位の道徳能力を共有し、対等な理性的対話が可能であったはずではないのか。イラクは、われわれの道徳能力を根源から問いただすような他者でもなければ、「異邦人、寡婦、孤児」といった無縁ながら憐憫を感じさせるような絶対的弱者でもない。絶対的他者=悪としてのイメージを押しつけたのは、アメリカを中心とする同盟諸国のエゴなのだ。真の理性的対話が通じないのは、むしろ同盟諸国のほうではないのか。

イラクを絶対的他者=絶対悪と認定するような政治は、根本的に間違っている。戦争を防ぐためには、むしろイラクの人々が自分の分身であるという認定、すなわち、絶対的な他者性の認識を解消するような努力が必要であろう。ところがレヴィナス流の他者論に従えば、フセインは絶対的な他者であり、これに対して「イラクの子供たち」は第三者の眼差しとして、戦争の正義に異議を申し立てるイメージを提供するという。しかしフセインを絶対的な他者として認定する必要はあったのか。問題は私たちの通常の道徳感覚を陶冶する方向で、国連を通じて解決できたはずではないのか。

 

 

 

書評10

[1]

カルヴィン・トムキンズ著、木下哲夫訳『マルセル・デュシャン』みすず書房2003

 

 ポスト・モダンの先駆者といわれる鬼才画家デュシャンの伝記、決定版である。印象派やキュビズムから影響を受け、八年間の平凡な二流画家時代を経たのちに、とつぜん神がかったように新世界を切り開いた孤高のデュシャン。1911年から12年にかけて描かれた諸作品(春のソナタ、車中の悲しい青年、階段を下りる裸体など)はいずれも、静まり返った器械的フォルムを描いた傑作中の傑作だ。育ちの良いフランス人よろしく、処女性に対する敬意と畏怖を抱いていた彼は、花嫁の純潔で白い欲望によって、男性の欲望が排斥されると同時に促進されるという過程に関心を寄せていた。花嫁の純潔をシンボルとする家父長的な資本主義社会の動力源を破壊するというそのモチーフは、偶像破壊という悪魔的で創造的な自由を嘆美する。

 

1.満足度 4

2.本のリンク  瀧口修造著『デュシャン/寸秒夢』みすず書房

 

 

 

[2]

広瀬隆著『世界金融戦争 謀略うずまくウォール街』NHK出版2002

 

 かなりの情報通である。エンロン倒産、会計スキャンダル、イスラム金融、アフガニスタンと石油、そして炭疽菌事件。アメリカ経済を取り巻く世界問題をつぶさに検証した本書は、アメリカ発の情報を抜本的に問い直す契機を与える戦慄の書である。日本の経済人はアメリカの動向こそが日本経済のカギを握ると信じて疑わないが、著者によれば、現在のアメリカにもはや魅力も可能性もない。アメリカのパワーは幻想にすぎないのであって、日本はアメリカと協調すればするほど転落していくだろう。政治が親米であるとしても、産業人たちは自らの力でアメリカ国債を売ることによって、アメリカに対して金融戦争を挑むことができる。何も行動しなければアメリカへのマネー一極集中が進むばかりだ、と警鐘する。

 

1.満足度 4

2.本のリンク  広瀬隆『アメリカの巨大軍需産業』

 

 

 

[3]

メアリー・カルドー著、山本武彦/渡部正樹訳『新戦争論 グローバル時代の組織的暴力』岩波書店2003

 

 戦争で亡くなる市民の割合が増えている。二〇世紀初頭においては軍人と市民の犠牲者の割合が八対一であったのに対して、九〇年代にはこの比率が、一対八に逆転している。毛沢東やチェ・ゲバラが人々の「理性と感情」を掴みながら新しい政体を目指したのに対して、新しい戦争の主導者たちは、市民を殺害し、社会に「恐怖と憎悪」を蔓延させることによって、集団の政治的結集力を高めようとする。しかしその支配の形態は、理想化された過去への回帰を望むで、明確な社会構想をもたず、暴力支配を帰結するにすぎない。従来の戦争では、垂直的・階層的な指令組織が構成されていたが、新しい戦争は分権的でネットワーク型である。ではアメリカ対イラクの戦争はどうかといえば、それは新しい状況において古い戦争を闘うことになるのだという。

 

1.満足度 4

2.本のリンク E・ゲルナー『民族とナショナリズム』

 

 

 

[4]

若田部昌澄著『経済学者たちの闘い エコノミックスの考古学』東洋経済新報社2003

 

 経済学説史の専門家たちが歴史家専念論に閉じこもる中にあって、本書は異色の快著。現代日本の不況問題に取り組みつつ、極めて現実的な問題意識をぶつけた渾身の経済学史入門である。日本経済はこのままデフレの中で好況を迎えることができるのか、それとも物価下落に歯止めをかける政策が必要なのか。歴史を振り返れば、ハミルトン以降の開発主義や、ソーントンやバジョットの中央銀行活用論、三〇年代スウェーデンの金融政策論など、さまざまな事例から現代経済への視座を得ることができる。本書は、著名なエコノミストたちの政策論議をその時代の現実と照らしながら検討し、政治や行政に抗して一貫した理論的判断を下す経済学者の役割を強調する。真剣かつ雄弁、軽快かつ周到である。学生に勧めたい一冊だ。

 

1.満足度 4

2.本のリンク ハイルブローナー『入門経済思想史』

 

 

 

[5]

ノーム・チョムスキー著、藤田真利子訳『グローバリズムは世界を崩壊する プロパガンダと民意』明石書店2003

 

 ベトナム反戦運動や核兵器反対デモなどの活動に積極的に参加した哲学者バートランド・ラッセルは、反アメリカ的な狂った老人としてメディアから辛辣に非難され投獄されてしまった。他方で、当時同じ立場を表明していたアインシュタインは、政治活動をしなかったがゆえに聖人扱いされる。いったいこの違いは何なのか。チョムスキーは自らをラッセルに準え、主流の価値観に対抗する知識人の精神を逞しく継承する。一週間に百時間は仕事に専念するという超人チョムスキー。その政治論は、幅広い知識を動員して根本的なアメリカ批判を繰り広げる。二〇年前にはほとんど誰もチョムスキーの政治論に耳を貸さなかったが、いまでは数十万部も売れるという。本書はアメリカの国内・国際政策を広範に論じたインタビュー集。

 

1.満足度 4

2.本のリンク リプセット『アメリカ例外論』

 

 

 

[6]

ヤニス・スタヴラカキス著、有賀誠訳『ラカンと政治的なもの』吉夏社2003

 

 「父の名」「対象a」「享楽」といったラカンの基礎概念を分かりやすく整理しながら、その理論がラディカル・デモクラシーを政治的に支持する回路を明らかにする。第三者の審級としての父の裁定に服従することによって成立する「主体」は、しかしその本源的な欠如ゆえに、安定した同一性を獲得することができない。必要な政治は、人々を安定した超越的権力の下に調和させることではなく、欠如の現実性を開口すること、例えば、代表民主制から逸脱する政治運動を試みることによって、単一の調和から自由である可能性を確保することにある。超越的な権力の欠陥を侵略し、多様な差異の政治を生み出すことこそ、根源的な民主主義の戦略に他ならない。主体構成の詐術から主体を解放することが目指されている。

 

1.満足度 4

2.本のリンク ラカン『精神分析の四基本概念』

 

 

 

[7]

喜多千草著『インターネットの思想史』2003

 

 一九六〇年に論文「人間とコンピュータの共生」を書いたリックライダーは、米国国防省の一部局でインターネットの構想を打ち立てた。本書は、彼が残したアーカイブを元に、インターネットの黎明期に当たる複雑な過程を解明した好著である。大型の汎用コンピュータを共同利用するか、あるいはより小型の汎用コンピュータを使って対話型の利用を促すのか。六〇年代以降の発展は、二つの思想が並存しながら進んでいった。リックライダーは軍事情報や図書情報のデータベース利用を考えて、巨大な汎用機に多くの端末からアクセスするモデルを考えるが、これに対してコンピュータをパーソナル化しようとするクラークの思想が対立した。しかしインターネットは前者経由で生まれたというのが面白い。

 

1.満足度 4

2.ラインゴールド『思考のための道具』

 

 

 

[8]

ハンス・ブルーメンベルク著、後藤喜也/小熊正久/座小田豊訳『コペルニクス的宇宙の生成I』法政大学出版局2002

 

 古代ギリシアでは、一方には宇宙(コスモス)に対する賛美、他方には人間社会に対する悲劇的な認識があり、人間の世界から隔絶したコスモスを観想することこそ、純粋な理性の営みだとされていた。これに対してコペルニクスがもたらした近代の根本的な経験は、直接的な知覚(観想)の背後にある実在を、理論的に把握できるとみなす道具主義的な思考であった。それが革命的であったのは、超越的なものの内在に基づく「慣性の原理」が、すでに中世の末期に用意されていたからであるという。コスモスに尊厳を与えるのは、人間と神の理性が慣性の原理によって遍在し、階層的・段階的な神の介入を禁止するからだ。その後のドイツロマン派の展開を含めて、本書は人文主義の伝統における宇宙の意味を丹念に描き出した大作の一部。

 

1.満足度 4

2.ブルーメンベルク『近代の正統性』全三巻

 

 

 

[9]

ジャック・デリダ著、高橋哲哉/増田一夫/宮崎裕助訳『有限責任会社』法政大学出版局2002

 

 言語学の重鎮、デリダとサールが交わした論争の原テクスト。志向性を書かれたもの(エクリチュール)から切り離そうとするデリダに対して、これを言語行為の中心に据えるサールが批判を挑む。応ずるデリダは、サールの文章すべてを逐一取り上げながら、饒舌で狡知に満ちた反批判を繰り広げる。タイトルにある「有限責任会社」とは、サールの論文が複数の著者の責任に負うことを指摘するために、デリダがあえてフランス語の「有限責任会社」の略語とかけた言葉。はたして言語形式の反復可能性は、デリダが言うように、意図が意味とコミュニケーションの核心である可能性を否定しうるのか。むしろ言語行為に伴なう志向性を促進するのではないか。コミュニケーションの連続と断絶をめぐって、デリダの緊迫した思考が続く。

 

1.満足度 4

2.本のリンク デリダ『エクリチュールと差異』上下

 

 

 

[10]

ニクラス・ルーマン著、馬場靖雄訳『近代の観察』法政大学出版局2003

 

 後期ルーマンの冒険的な理論考察を知るための格好の入門書。社会全体を捉えようとする観察観点の偶有性は、メタ観察のサイバネティクスと諸領域の機能分化によって不可視化される。つまり、メタ観察そのものが社会の諸領域に埋め込まれて産出されているのであり、ルーマンはそうした観察の産出を組み入れた社会理論を目指している。パーソンズのように主権を代行する国家をもって秩序問題の解決とするのではなく、秩序に対する信頼や権威が揺らぐ社会にあって、秩序問題を解決せずにシステムを産出するための条件があるはずだ。非知にもとづく秩序、偶有性への対処、ルースなカップリングによる攪乱の局所化といったテーマから、増大する複雑性を維持するような自己整序のメカニズムが解明される。

 

1.満足度 4

2.馬場靖雄『ルーマンの社会理論』